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日航法的整理再生はできるか(下)(日本経済新聞2010/01/21)

企業再生

日航法的整理再生はできるか(下)
世界の空で新旧交代
 日本航空の会社更生法申請から一夜あけた20日。前原誠司国土交通相の発言の波紋が広がった。前日夜のテレビ番組で「本当に日航と全日空の2社が成り立つかどうか。3年以内に見極めて決断する」と言明したのだ。2社体制の堅持を唱えてきた国交相の“軌道修正”。日航再生の行方はいきなり波乱含みになった。
 日本の空では長く、2社体制が続いてきた。日航が国策として誕生したのは1951年。全日空はその翌年にできた。70年代の「団体」、80年代の「新婚」、90年代の「卒業」。両社が演出した旅行ブームは航空の大衆化を加速し、日本の国際化も支えた。
旗艦航空の衰退
 地上の主役がJTB、ジャルパック、HISと変遷しても空の主役は変わらなかった。だが、この10年は新たなブームも成長モデルもなかった。日航と全日空が時代を読めなかっただけではない。日本は自由化や規制緩和を拒み、国を挙げて世界から遠ざかってきた。
 世界を見渡せば、ナショナルフラッグシップ(旗艦航空)と呼ばれる企業は原油価格高騰などで衰退傾向にある。米国は同時テロ後に大手4社が法的整理を経験。スイスなどではそれも失敗して破たんに追い込まれた。
 だが米欧は日本とは違う。32年も前に航空自由化に踏み切った米国では新たな担い手が多数育ち、運賃が既存航空会社の半分から5分の1という「LCC」(ローコストキャリアー)の年間旅客数が米国内線全体の4割に達している。
 代表選手がサウスウエスト航空だ。日本ではなじみが薄いが、米国では国内線最大手といえば同社。旗艦はもうLCCなのだ。
 対照的に日本にはLCCが1つもない。空港着陸料が高く、首都圏空港の拡張にも消極的だったことが響いた。官民で蛇口を絞り、鎖国戦略をとり続けた歴史の帰結だ。
 日航が目指す場所は全日空でなく、運航コストが両社の半分の「サウスウエスト」だろう。顧客との接点はすべてネット。機内サービスは最小限で、マイレージもファーストクラスもない。そんな軽量経営に学ぶことが再生の第一歩になる。
 ボストンコンサルティンググループの御立尚資日本代表は世界の航空産業で起きていることを「ユニクロ現象」と呼ぶ。
 航空業界の予測によると、世界の旅客需要は今年4・5%増えるが、航空各社は計5000億円の最終赤字を計上する。最大の理由はまだ世界の半分以上を占める先進国市場での価格下落。とりわけ、高い運賃を容認してきたビジネス客がLCCに急傾斜していることが大きい。百貨店からユニクロに顧客が流れる日本の流通と似た構図だ。
 LCCもユニクロも低価格と高品質を両立。ユニクロのファーストリテイリングは景気が悪化しても最高益を計上し、サウスウエストもテロや疫病の流行が続いた2000年代に最高益を重ねた。モノが売れない時代に顧客を引きつけ、高収益を上げる経営モデルを確立しているのだ。
業種越えた現象
 LCCはすでに欧州、豪州、アジアへ広がり、今春以降は成田・羽田空港の拡張に合わせ日本にもやってくる。日航か全日空か、という二者択一で空の未来を考える時代は去ろうとしている。
 競争環境の激変は産業を問わず時代の潮流だ。コストの安い新興国の市場と企業が台頭し、旧来勢力を追い詰める。どんな企業もその流れに挑むしか活路はない。日航が法的整理で抜本リストラに踏み切るのは、歴史の必然だったともいえる。
 自動車大手では商品すべてを部品一点ごとに見直し、世界での新たな勝ち方を探る大がかりなフルモデルチェンジの動きが水面下で始まった。日航は再生できるか。それはデフレ経済下で日本企業が殻を破れるかの試金石にもなる。

2010年01月21日